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岐阜地方裁判所大垣支部 昭和27年(ワ)32号 判決 1955年6月09日

原告 安田夫美子

被告 佐竹秋一

主文

被告は原告に対し金十五万円及びこれに対する昭和二十七年五月四日以降完済に至るまで年五分の割合に依る金員を支払うべし。

原告その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、第一項に限り原告において金五万円を担保に供するときは、仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金百万円及び之に対する本訴状送達の翌日より完済に至るまで年五分の割合に依る金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする、との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、原告は昭和二十三年三月十九日安田廉、同満寿子の間の長女として生れ心身共に良好な経過を辿つて現在に至つたもので右廉、同満寿子の親権に服するものである。

二、被告は菓子雑貨等の小売を業とする者であるが、昭和二十七年一月二十三日午前十一時頃原告が他の幼児に伴われて被告方に赴くや、同家店土間において、被告の飼育する犬が突然原告に襲いかゝり、同女を押し倒して咬みつき、同女の右頬に長さ四糎の裂傷を与えた外顔面、頭部に数ケ所骨膜に達する傷害を与えた。

三、被告の右飼犬は白色牡のアイヌ犬で元来橇を引くために用いられる種類の犬で、学問上極北犬に属し、性質兇暴で、過去においてしばしば人に咬みついたことがある。

すなわち、昭和二十五年八月二十日頃訴外安田由太郎の長男勝の後頭部に、昭和二十六年十二月頃訴外中島広吉の孫娘香折の肩に、昭和二十九年九月頃前記安田由太郎の子数美の前額部等に咬みつき、いづれも重大な咬傷を与えたことがあるから、被告の右飼犬は、狂暴性を有し人に咬みつく性癖を有する。

四、被告の右飼犬は、右述べたように人に咬みつく性癖を有するので、これが占有者である被告は、その管理につき十分な注意を為すべきであるに拘わらずその義務を怠つたゝめ前述の如く原告に傷害を与えたものである。

すなわち、被告方は営業の性質上小児を含む多数の人が出入するので客が店舗に入つたとき飼犬が他人に危害を加えないよう適切な措置を講ずべきである。本件飼犬には前示の如き性癖を有するからこれを放置することの許されないのは勿論、単に繋留したゞけでも足らない。嵌口具を用いるとか柵内に入れるとかその他の方法により人に危害を加えることのないよう万全の方途を講ずべきであるに拘わらず当時全然放置してあつたか、又は容易に咬み得る状態におき而も店に施錠することなく全員不在にしたことは著しくその注意義務を怠つたものというべきである。

五、原告の父母は即日原告を名古屋に連れて行き医師の治療を受け、爾来極力その傷痕の残らないよう最善の方法を講じて貰つたが、傷は余りにも大きく、殊に顔面の傷は濃赤色の瘢痕を生涯残すこととなつた。これがため原告は女性の生命ともいうべき顔面の相貌は著しく損われた。

六、原告家は岐阜県下における有数の資産家であり、旧家である。その親族は各界一流の名家として経済的社会的に有力な地位に在り、その資産は各数千万円である。

又過去の原告家の子女の縁組先より推察すれば原告も亦良縁を得べき公算大であつたが、本件咬傷によりその期待を失わしめる等原告の生涯に広汎無限に精神的苦痛を与えるものである。

他方被告は戦争中種々の商売を為し莫大な利益を挙げ現在は穀類、肥料、菓子雑貨の販売を為しているが、他に名古屋市の某鉄工所、京都市の某工場に多額の出資を為し、その資金は一千万円を超ゆるものである。

以上の諸事情を勘案すれば本件において被告が原告に対して支払うべき慰藉料は金百万円を以て相当とすべきであるからこれが支払を求めるため本訴請求に及んだ次第である。

と述べ、被告の抗弁を否認し、

本件事故発生当時は表入口より勝手土間まで見透しができた。従つて原告が一見獰猛な威容を示す本件飼犬を目撃しながらこれに近づくが如きは、児童の本能的な警戒心から考えられないことであり又原告が赤紙製の面型をとりに入つたとするが如きは全く後になつて捏造したことである。尚幼年者が不法行為により損害を受けた場合幼年者の過失を考える余地のないことは民法第七百二十二条、同七百十二条の趣旨から云つて明らかである。

次に歩行可能な幼児が戸外に遊ぶことは通例であつて親権者が絶えず附添をするが如きは法律の要求するところでなく、殊に本件事故発生の場所附近は農村部落で人家疎らで、車馬の交通が少ない。更に又事故発生の場所は被告方屋内であるから原告親権者の監督が及ぶ場所でない。原告の父母が監督義務を果さなかつたことは、本件請求に法律上何等の消長を来たさない。

と述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は。原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求め、請求原因に対する答弁として、

一、一の事実中原告が昭和二十三年三月十九日安田廉、同満寿子の間の長女として生れ右両人の親権に服するものであることは認める。

二、二の事実中店土間において被告の飼犬が突然原告に襲いかゝり押し倒して咬みついたこと、咬傷の部位程度を争う。

三、三の事実について、本件飼犬は雑種であつて、大体北海道犬だという程度であつて、何犬とはつきり分けることはできない。性質は非常に温順で挑発行為に出なければ突然人に咬みつくということはない。原告主張の如く訴外中島広吉の孫娘、安田由太郎の長男等に咬みついたことがあるが、それは途で突然出会つて吃驚させられたりあるいは馴れない人に構われたからであつて、こうした場合に咬みつくのは犬の通性であつて、これがため咬傷癖があるとは云えない。

四、四の事実は争う、本件飼犬は猛犬でないから嵌口具を施したり、人の近づくのを遮断したりする等の措置を為す必要はない。

五、五、六の事実は争う、被告は法律上の責任はないが人情として捨ておけないので早速自費を以て応急措置を為し、後は原告の親権者において治療を為し、現在傷痕は全然認められない。

と述べ抗弁として、

一、被告は本件飼犬の占有者として家屋の一番奥の勝手土間に鉄棒を打ち込み、鉄鎖を以て飼犬を繋ぎ、店土間に出入できないようにしてあつたから動物の種類性質に応じた管理義務を果していた。

ところが原告は、原告主張の日時に被告並びに家族全部が不在の時他の小児等と共に表入口より入り奥の方の棚に赤紙製の面型があるのを見て、これを取りに行き、誤つて犬の上若しくは附近に倒れたので、犬が驚いて咬みついたものである。

従つて被告には責任のないことである。

二、又当時満三才位の幼女に対しては、親権者において保護すべき義務があるに拘らず、これを放任しておいたことは監督不行届というべきであつて、本件事故発生の責任は原告の親権者が負うべきである。

と述べた。<立証省略>

理由

原告が昭和二十三年三月十九日安田廉、同満寿子の間の長女として生れ、右廉、満寿子の親権に服すること、被告が菓子雑貨等の小売を業とするものであることは、当事者間に争なく、昭和二十七年一月二十七日午前十一時頃、原告が被告方において、被告の飼育する犬に咬まれ傷害を受けたことは、被告において明らかに争わないところである。原告は右負傷は被告の飼育する犬が突然襲いかゝり押し倒して咬みついたによるものであると主張するに対し、被告は原告が被告方の奥の方の棚にある赤紙製の面型をとりに行こうとして、誤つて犬の上若しくはその附近に倒れたゝめ咬みつかれたによるものであると弁解するので、この点について考察するに、証人仲純子、同安田すゑの各証言、原告親権者安田廉、同満寿子各尋問の結果を綜合すれば、原告は右日時頃、被告方に菓子を買いに行く他の子供数名に伴われ被告方に表入口より奥の方に行つたが他の子供達が突然犬が来たと言つて逃げたので押し倒された際被告方の飼犬に襲われ頭部その他に咬傷を受けたものと認めるのが相当である。

証人佐竹徳彌、同佐竹はなの各証言被告本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

そこで右犬の飼育者たる被告は、動物の占有者としてその種類及び性質に従がい、相当の注意を以て保管の責任を果していたかどうかについて審究するに、証人中村直義、同佐竹徳彌の各証言、並びに検証(第二回)の結果を綜合すれば本件犬は雑種であるが、北海道産アイヌ犬に属する牡犬で昭和二十六年五月頃生後二ケ月位であつたのを被告が二万円で買受け飼育するに至つたこと、成立に争なき甲四号証によれば、この種に属する犬は元来橇を引くのに用いられ気が非常に荒く兇暴性を有すること、証人安田由太郎、同中島広吉、同岩田美好、同川瀬仁一の各証言を綜合すれば昭和二十五年八月頃右安田の長男勝(当時十三才)が被告方空地において本件犬を撫でに行つた際突然頭に咬みつかれて咬傷を受けたこと、昭和二十六年十二月頃右中島の孫香折(当時小学三年)が被告方附近の道路を通行中道の曲り角で本件犬に突然飛びつかれ肩に咬みつかれて傷を受けたこと、並びに昭和二十九年九月七日被告方附近で安田の子数美にも咬みつき重い傷を与えたことを認めることができる、これによつてこれを見れば本件犬は野性的であつて気が荒く咬癖を有し他人に対し、危害を加える危険性が多いものといわなければならない。

被告は、本件犬は性質温順であつて挑発行為に出ない限り危害行為を加えないと主張するが、成る程被告本人尋問の結果によれば被告及びその家人に対して温順であることを認めることができるが、畜犬が飼主又はその家人に対して温順であることは何等異とするに足らない、これがために他人に危害を加える危険のないことの証左とならない。

証人板倉はま子の証言並びに被告本人の供述中前記認定に反する供述が存するも措信に値しない。しかして証人佐竹徳彌、同佐竹はなの各証言並びに被告本人尋問の結果を綜合すれば、被告並びに家人は本件犬の前示性質、性癖を熟知せることを認めることができる。

従つてかゝる性質を有する本件犬の飼育者たる被告は右犬が夜間盗賊等に対処する場合なら格別、通常時には他人に危害を加えることなきよう屋内その他適当な場所に繋留し他人がこれに近附かないよう監視すべき保管上の注意義務のあること勿論である。被告本人尋問の結果によれば被告は本件犬を当時屋内勝手土間に鉄棒を軸として鎖を繋いでいたものと認めることができるから一応その責任を果しているかに見える、そして被告は、この程度の保管方法を以て動物の占有者として保管義務を全うしたと主張する。

併し、動物の種類性質に応じた相当の注意とは抽象的に定むべきでなく、具体的にこれを定むべきである、従つて同一方法でも甲の場合には相当の注意を払つたことになつても乙の場合には不相当と認める場合があり得る。被告は前述の通り菓子雑貨等の小売を業とするものであつて被告方にはその営業の性質上多数の客殊に小児の出入が予想されること、しかして本件犬の性質性格が前示の如くであることに鑑みれば本件の場合においては単に屋内にこれを繋留しただけでは保管上の責を果したとは云えない。すなわちこれを店舗及びその附近に繋留する場合は嵌口具を着けさせるとかあるいは完全な犬舎を設けてこれに収容するとかの方法により客が知らずして近附いても危険を加うることのないようその保管について万全の措置を講じ又家人をしてこれを講じさせる注意義務があるものといはなければならない。本件においてこれを観るに、証人岩田美好(二回)、同佐竹はなの各証言並びに検証(第一回)の結果を綜合すれば本件被害現場である被告方勝手土間は、表入口より入つた店舗土間に続く土間であつて両者の間口は同一でありまた両者の間には何等の仕切りがなく普通家庭における勝手土間は更にその奥にあること、被告方の商品の一部は店舗土間と勝手土間の双方に跨がり置かれていることなどから右勝手土間は、実際上は店舗の一部又はその延長と見らるべきこと、そして本件犬は右勝手土間の中央右寄りに繋留されていたが少くとも店と勝手間との仕切りである大黒柱附近までの行動が自由になつていたこと、而も当時被告方は店入口に施錠することなく家人全員が不在であつたことを認めることができる。それがため前示の経緯において原告が本件犬に咬まれ傷害を受けたものである、して見れば本件犬の飼育者たる被告又はその事実上の補助者たる家人において、本件犬の保管についての注意義務に著しく欠けることのあつたことは明らかである、被告主張の如く原告自身又は原告法定代理人の原告に対する監督についての過失は認められないし、よしんば原告自身に過失があつたとしても当時三才の幼児であつた原告の過失行為は責任評価の対象とならない、(民法第七一二条)又原告法定代理人において原告に対する監督につき過失があつたとしても被告の右責任を否定する資料とはならない。

以上の理由で被告は本件犬の加害行為によつて原告が受けた肉体的精神的苦痛に対する損害を賠償すべき法律上の義務のあることは明らかである。

よつて、原告が本件犬によつて受けた傷害の部位並びに程度について審案するに証人田中義雄の証言、同証人の証言によつて成立を認められる甲第一号証原告の写真であることに争なき甲第六号証を綜合すれば、原告の被つた傷害は初期において顔面右頬に斜に長さ四糎の[口多]開性裂創右眉毛部外側に〇・五糎の刺創二個、後頭部中央に縦に二・五糎の裂創その右下部に横に五糎の裂創何れも骨膜に達し出血多量であつたこと、これが治療として何れも縫合したこと、但し右頬の創は醜形を残さないようアメリカ式縫合(くけ縫い)を為したこと、治療の結果右傷は治癒したが痕は残ること、殊に現在右頬の傷痕は二糎程度、右眉毛部の傷痕は受傷当時より幅が少しく広くなり長さは少しく短かくなつているがこれらの瘢痕は多少共生涯残りこれがため原告の容貌は著しく損われたものと認めることができる。右認定を覆えすに足る証拠はない。しかして右の事実に前示のように原告が安田廉、同満寿子の長女として昭和二十三年三月十九日生であり、証人原田一司の証言と右安田廉(第一回)同満寿子各尋問の結果を綜合して認められる原告家は岐阜県内における旧家であつて、曾ては不動産だけでも田畑五十町歩余を所有していた財産家であり、現在は農地解放により大部分の農地を失つたがそれでも田約三段歩雑地約三町歩、家屋数約二千三百坪を所有していること、その親族には経済的社会的に有力者として活躍しつゝある者多数存すること、前記安田廉、被告本人尋問の結果を綜合して認められる被告は手広く菓子雑貨肥料等の販売を業として相当の資産を有しているに拘らず本件原告の被害直後自費を以て応急手当を為したとは言えその後における原告家に対する態度極めて冷淡であること並びに前示認定の事実関係によつて明らかなように、本件傷害の結果は原告の生涯に著しい苦痛を与うるものであること等諸般の事情を参酌して考量するときは、原告の前記傷害によつて蒙つた肉体的精神的苦痛に対する慰藉料は金十五万円を以て相当とすべく、被告は原告に対し金十五万円及び之に対する本訴状が被告に送達せられた翌日であること記録上明らかな昭和二十七年五月四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべき義務があるものと謂わねばならない。従つて原告の請求は右認定の限度においてこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、民事訴訟法第八十九条、第九十二条本文、第百九十六条を各適用して主文の通り判決する。

(裁判官 畔柳桑太郎 織田尚生 浪川道男)

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